2021.03.01

容姿いじりをハゲが考察してみた

ぷろたん愛用のBAMBOOSHOT

どうもきっしーです/(^ー^)

今回の話は、少し難しく堅苦しい話題です。

昨今、容姿いじりについて様々な議論をされることが増えました。

これについて、容姿いじりの対象となりがちなハゲの僕が、考察をさせて頂きたいと思います。

※今回の記事は長文となっております。予めご了承ください。

結論

容姿は個性。それを生かすも殺すも自分次第。

その生かし方として、「いじり」も手段の一つ。

だけど、それすら排除されるのならば、こんな世の中はもっとよくないと思う。

ブスもハゲも、普通の人(マジョリティ)からすれば違和感であり、違う目で(マイノリティとして)見られるのは仕方がないと思います。

とはいえ、本能のままその人たちを必要にいじるのはよくないことは理解できますが、だからといっていじり自体の全てを否定されてしまってはいじられることによって輝ける、生かさせる可能性を潰すことになり、仮に社会が容姿が悪い人を受け入れたとしても、それは体裁を整えるための表面上のものでしかなく、本質的にはより排除に向かうのではないかと思っています。

もっと強い言葉で言えば、それは汚いものは見てみぬふり、手を汚さずただただ排除しているだけのようにも思えます。

世の中が個性を大切にする風潮なのならば、なおのこと容姿いじりという逃げ道や可能性を残し、排除すべきではないと思います。

それすら排除されるのならば、結局見た目が良い美人が得するだけだから、むしろ構造的には変わっていないどころか、より貧富の差が生まれかねません。

この意見を少し噛み砕いてお伝え致します。

容姿いじりがしにくい世の中

昨今、「ブス」と言う言葉が禁句のようになって来ました。

それ自体は一般社会で考えると、僕はいいことの方が大きいと思います。

ですが、こと芸人の世界において、もっといえば「ブス」というコンプレックスを持つ方にとって、本当に禁句なのか? と考えることもあります。

そんな中、とある女性芸人が某人気番組にて「ブスいじり」について言及をしたそうです。

大まかな内容としては、容姿についていじる笑いの取り方やいじられることを受け入れていると言う芸人に対して、違和感を感じており、ブスいじりに対して否定的な意見を出し、容姿や体を張ることで笑いをとってきた女性芸人は、戸惑いや悩みを抱えていると吐露したとのことです。


※写真はイメージです。

芸人における「ブス・ブサイク」「デブ」などの容姿で笑いをとることについて、僕個人の意見を述べさせていただきますと、いじる側との信頼関係のもとに、いじられる本人が認め、許容し且つ面白ければいいと思います。

もっと簡潔に言えば、結局のところ笑えればいいのです。

見た目の悪さが自分を救うこともある

この容姿いじりを、別の視点で考えた場合。

例えば、アイドルを志し有名アイドルユニットに入るも、人気上位にくるのは見た目が良いアイドルばかりで、センターにもなれないアイドルが体当たりの企画やお笑いキャラとなり、バラエティ番組で活躍するなど、3枚目として輝くと言う例も多々ありますが、それはまさに見た目で劣ると言う個性が武器となったことで、目立つことができたのだと思います。

そこからどういうわけか自信がついたからか、垢も抜け、色気も出始めることで逆に見た目がよくなることだってあります。

僕自身も似たような経験があります。

そもそも、僕は芸人を志ておりましたが、キャラもつけられず、笑いも取ることができなかったので、自分の個性について非常に悩んでおりました。

そんな時に丁度ハゲ始めたのですが、ハゲ度が弱くお客様に理解されなかったのか、笑いに繋がりませんでした。

結局、芸人としては結果を残せなかったのですが、舞台をYouTubeに移しても、キャラと言う部分は変わりませんでした。

そこで、自分自身を見つめ直した上ででた結論が「ハゲ」でした。

ハゲを使えばYouTubeで生き残れると思い、ハゲにちなんだ動画を投稿し続けた結果、やっとの思いで登録者1000人を達成し、収益化もできました。

また、このハゲタン日記のライターにもなれ、色々な方と出会うこともできました。

当初ハゲという事実は、自分自身受け入れられるものではありませんでした。

しかしながら、このハゲは自分の武器となり、自分自身を助けてもくれました。

つまり、容姿の悪さが僕自身の個性となって、僕の人生の幅を広げてくれたのです。

もしも、この見た目のコンプレックスを活用することを否定や禁止にされたとしたら、

輝けるはずの舞台を失かねません。

ブスいじりを排除し、ブスを許容する社会は、上辺だけは肯定的のように見えても結局は見た目が良い人ほどいい思いをするだけになってしまいます。

お笑いの話に戻って、そもそもブスやデブ、チビ、ハゲ . . .

もっと言えば貧乏、不良、地味、陰キャなど . . .

コンプレックスを抱えた人たちが活躍できる場がお笑いであるはずなのに、そのお笑いの中で否定されてしまってはお笑いと言う逃げ道もなくなり、より輝ける舞台が狭まります。

逆に、見た目の悪い芸人や役者、アイドルなどがいじりをきっかけに輝くことで、「自分にもできる」「よくやった!」など、救われる人も大勢いたと思います。

当然、その逆も然りではありますが。

某女性芸人の発言に対するきっしーの見解

あくまで個人的な見解ですが、その見た目があるからこそ面白いこともあるはずであり、面白いことをいえばいい、と言う考え方自体がそもそもお笑い芸人としてまだまだ未熟であるように感じます。

人には役割があります。

演技が上手い人もいれば、おしゃべりが上手な人もいる。

リアクションが面白い人もいれば、見た目がインパクトのある人もいる。

さらにいえば、お掃除が上手い人もいれば、ラーメンが上手な人もいる。

それこそがお笑い、ひいてはエンタメの多様性であり、現代の潮流である、多様性を認める世の中と重なるのではないかと思います。

しかしながら、この女性芸人の意見も理解できる部分もあります。

女性芸人=見た目いじりOKと一緒くたにされるのも、確かに違うのかなと思いますが、その中で輝くのは、見た目がよくない女性芸人だったりもします。

つまり、芸人界における見た目のヒエラルキーが、一般社会やモデル・女優の世界と真逆になっていると思うのです。

そのヒエラルキーに対する反骨心と、キャラ的に物申さなければならず、言ってしまったのかもしれませんが。

一般社会と芸能界の乖離

しかし、今書き記したお話は、あくまで芸能界でのお話です。

芸能界は、みられてなんぼの見世物ビジネスであるため、この考え方をそのまま一般社会に置き換えるのには少々厳しいものがあるかもしれません。

しかしながら、芸能人も元々は一般人であり、プライベートでは一般人としても生活をしています。

その中で見つけた武器だったのかもしれないため、一般社会の常識から完全に切り離すこともできませんし、一般人にも同様の可能性もあると考えています。

例えば、見た目がよくないことでいじめられている人がいた場合、それを乗り越えるためにコンプレックスをさらけ出して笑いに変え、コミュニケーションを潤滑にする人だっているであろうし、いじめられていなくても、見た目がよくないこと損していると感じていた場合努力をし、見た目をよくする人もいるかもしれないし、違う努力で、特筆な才能を開花させる人もいるかもしれません。

容姿は才能

そもそも全ての人間には異質なものや、違和感を感じたものに対して排除したいと考える本能があると思います。

それが嫌悪になることもあれば、嫉妬になることもあり、

悪い方に転がると、結果としていじめと言う行為にもつながるのだと思います。

ですがこの排除されがちな違和感こそ、それは自分に与えられた才能だと思うのです。

いじめられた分、いじられた分、自分には才能がある

そう思えればより強くなれると思います。

さらに言えば、大人になればなるほど、自然と見た目いじりをされる機会は減り、むしろ見た目は、自分の心との戦いになってきたりもします。

僕は、大人になってから見た目が悪くなり、より3枚目度が増しましたが、誰かに明確にいじられたわけではなく、自己申告の部分も多いため、よりそう思います。

改めて結論

かなり話は脱線してしまいましたが、僕は、本人が見た目をいじられるのが嫌ならそれはいじめであり、やめたほうがいいけれど、本人がそれを求めている、受け入れているならば、いじりは許容すべきだと思いますし、いじり自体を否定するのも、見た目で損している人の可能性を狭める、言い換えれば「新しいいじめ」だと思います。

あなたは、この容姿いじりに関してどのようにお考えでしょうか?

おまけの動画♪(これはいじりです笑)

YouTube – 【ドッキリ】ハゲてる友達に「かっこいい感じの表札」をプレゼントしたのだが…欲しがってたくせに、なぜか喜んでもらえなかった件について

YouTube – きっしーちゃんねる

Twitter – @hagemen_kissy

Instagram – hage_kishii

ついに完成!「バンブーショット」

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