2021.08.28
ハゲが差別問題について考える【前編】
どうもきっしーです/(^ー^)
先日、フランスの某サッカー選手が、
日本人に対して差別的な発言をしたということが問題になっておりました。
当然、僕も遺憾に思い、同時にやるせない気持ちにもなりました。
今回のこのニュースについて、ハゲの僕が持論を述べたいと思います。
結論
言われた本人が差別だと思えば差別です。
しかしながら、
人種差別や見た目・性別の差別がNGになってきているのに、
なぜハゲへの差別はまだ許容されているのか?
解説
当然のことながら、人種差別の戦いは歴史的に長く
現在は人種を差別するような言動は、厳しく対処させています。
また、近年性的マイノリティの方々が声をあげ、許容される社会に変わりつつあります。
そして、現在はブスなどの見た目いじりも排除の対象となりつつあり、
こうした不遇な境遇を受けないような社会が少しずつ実現しようとしています。
僕はこの流れに共感しつつも違和感を感じてなりません。
その理由は、
本来人間は自分とは違うものを違和感として捉え、
場合によっては排除に向かうことは本能であるはずなのに、
それを抑えることは果たして本当に健康的な社会なのか?
と思うからです。
表面上は言わないようにすることで、
あたかも平等のような振る舞いをしているにもかかわらず、
今回の問題のように、裏では差別的な発言をしてしまったり、
そういった思想を持つということは当然ありうることです。
つまり、規制することだけが問題の核心を解決することにはならないと思うのです。
この核心を解決する方法は
- 個々人が理解し合う
- 差別される要素を自らなくしてしまう
- マイノリティからマジョリティに変化する
この3つだと僕は考えます。
現実的に考えて、③はとてもハードルが高いです。
ですので、②によって、マイノリティは順応をしようとしてきましたが、
それでも不協和な気持ちや状況を変えるため、①を目指して動き始めています。
そして①が実現できれば、問題は解決になるのでしょうが、
現状完全なものにはなっていません。
そこで人は2つのことを考えます。
1,理解を深めてもらうように戦い続ける
2,現状を受け入れ、武器にして戦う
1に関しては、今まで通り理解を深められるように、動き続けるため
正当な解決への道筋だと思います。
2に関しては、自らの要素をなくすことなく、自ら受け入れ武器へと昇華をし、
社会に順応していくことです。
いわゆるイジリイジられや、オネエキャラ、ハーフタレントなどもこれに当たります。
しかし、これら二つは相反するものだと思うのです。
なぜならば、武器にすることは、
その特徴を違和感として際立たせ、 同じ境地の人間により不遇な扱いを招きかねないからです。表に出ているタレントのように、自身も同じ振る舞いをすることができるのであれば
問題ないのかもしれませんが、
それができない方も多く、タレントが活躍すればするほど
嫌な思いをされる方もいるかもしれません。
この嫌な思いの経験こそ、差別に当たると考えます。
タレント全てが嫌な思いをしていないとは思いませんが、
受け入れ武器にしている人間がいる以上、
全ての言動や扱いが差別にあたるわけではなく、
差別かどうかの線引きは本人になるわけです。その線引きが難しいからこそ、言動に気をつけなければならず、
そして、気をつけすぎるがあまり、何か違和感のある立ち振る舞いにならざるを得ないのです。
双方がよりストレスフリーになる社会はどうしたら実現できるのか?
これからもっと考えていかなければなりません。
このように、極力簡単に文章だけで考察しても、これだけ長くなるのですから、
マイノリティの差別との戦いはそれだけ根深いということです。
次回は、この差別問題を「ハゲ」に限定して言及して参ります。
おまけの動画♪(ハゲを武器にした動画)
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